帰国後、家業に従事しながらの活躍
1994年1月よりニュート・ギングリッチ下院議員(後の下院議長)の外交スタッフをはじめるが、父親の突然の死去により帰国を余儀なくされ、福島県猪苗代町に戻る。家業の(有)小林書店を継ぐことになる。 1994年3月に松下政経塾を卒塾、正式に(有)小林書店の専務となる。 小林書店は猪苗代の本町商店街にある書籍・文具・事務機の小売業。猪苗代は観光地のため、バブルのはじけた後の不況も深刻であった。郊外型大型書店の進出、学校予算の削減などで売上も激減、事業のリストラを行う。月末の資金繰りに苦しみ、各種の中小企業・自営向け制度融資に助けられた。コピー機の修理・メンテナンスの資格も取得。幼なじみの商店街の後継ぎとともに、商店街の活性化事業などにも参加したが、長引く不況の中で商店街の店舗は一軒一軒閉まっていく。町のコミュニティの中核である商店街、戦後の日本の屋台骨を支えてきた中小自営の寂しさを実感。この苦労の中で改めて政治の大切さを知る。 |
(社)猪苗代青年会議所にも入会し、地域貢献と自己修練につとめた。福島ブロックや東北地区の国際系の委員会に所属して南太平洋やアジアの国々でボランティア活動を行う。 |
また日本青年会議所へも出向し、全国各地の同志と知り合った。日本青年会議所には三年連続で出向し、日米パートナーシップ推進委員会副委員長、社会制度政策実践会議副議長、たのもしいJC創造会議副議長を務めた。 |
猪苗代で家業に従事しながら、ギャラクシーレポートジャパン(現在は株式会社エイチアンドアール)を設立し、アメリカの政治経済情報をFAXやインターネットで配信する事業を開始した。ビジネスのネタ探しとアメリカの人脈維持のため2ヶ月に一度のペースで、アメリカ通いを続ける。アメリカの年金制度の柱となっている401k(確定拠出年金)に興味を持ち、視察や研究を行った。確定拠出年金(日本版401k)が日本にも導入されることになり、確定拠出年金コンサルタントとして全国各地で講演を行っている(継続中)。 |