松下政経塾入塾、再渡米
平成元年4月、茅ヶ崎市汐見台にある財)松下政経塾に十期生として入塾 、14人の同期の中には中本太衛(元衆議院議員)、中田宏(横浜市長)、宇佐美登(前衆議院議員)など。早起きは苦手だったが、6時に起こされ、掃除と海岸のランニングの毎日(サボることもしばしば)。早く寮を出たいと真剣に願っていた。剣道と茶道研修など、日本の文化についても広く触れた。 岡山県津山市にある松下の下請工場で3ヶ月の労働体験、2交代制の勤務で続けて働かされ、辛かった。津山は牛肉の産地でホルモン焼きに開眼。 |
その後マレーシアの工場でも研修、人事課長に任命されたとたんにストライキが始まり、120名の現地労働者と会社の板ばさみに。苦労の甲斐あって無事収束。帰国時にプレゼントされた指輪は今でも宝物。 その後、自治省所管の地域総合システムセンター主任研究員として、市町村合併について研究。茅ヶ崎から青山まで通勤していた。塾の研究プロジェクトで「日本の技術戦略(総合行政出版)」を執筆、担当はHDTV(高規格テレビ)。 |
91年に再度渡米。 弁護士700名を抱えるシャーマン&スターリング法律事務所に勤務し、日米摩擦関係の訴訟やM&A案件を担当。パワーブレックファストやパワーランチ、夜は日本人との飲み会で85キロをオーバー、今見ても醜い。 その後、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題大学院(SAIS)の客員研究員に迎えられ、アメリカの東アジア政策について研究。大学院の授業で日米関係や日本の政治・選挙などについての講義も行った。 |
また、東アジアや南太平洋地域に関する各種国際会議に出席のため、アメリカ国内はもとより、南米・アジア・ヨーロッパ、南太平洋地域を飛び回る。雑誌の仕事でペルーのフジモリ大統領への単独インタビューのため、テロが頻発する戒厳令下の首都リマを訪問した。 |