[第166回 参議院 国際問題に関する調査会 2007年2月28日]
○小林温君
自民党の小林温でございます。
今日は三参考人、ありがとうございます。
時間もないようですので、質問、少し絞らせていただきますが、手嶋参考人、ウルトラ・ダラーもFSXもいつも刺激的に読ましていただいておりますが、今日も外交における議会の役割について刺激的な御提案をいただきました。例えば、ミスターXと交渉が進んだ平壌宣言の中身がずさんだということについて、我々も例えば党内の議論ではかなり活発にやらせていただいているというようなことも、永田町の取材の御経験もある参考人にはお分かりだと思いますが、本来はそれを委員会なり本会議でしっかりとやるということ、そういう御提案もいただいたのかなというふうに理解をしております。
そこで、少しお考えをお聞かせいただきたいんですが、例えば湾岸戦争における大蔵省と外務省の二元外交の話がございました。アメリカを見た場合に、例えば国防省と国務省であるとか、あるいは案件によってはほかの役所がいろんな発言をしたり、その役割分担をして、それが時には議会も、これもまたある外交の中での重要な役割を果たす、これ、下院、上院、民主党、共和党、両方あるわけですが、あるいは例えば安全保障においてはネオコンとそうじゃない派があっていろんなプレーヤーがいるかと思うんですが。
これは、参考人のお考えとしては、大統領の総攬の下に一元化された外交というのをアメリカにおいては行っているのかどうかということを少しお聞きをしたいと思います。
それからもう一つ、例えば六者協議を見ていても、日本は外務省の担当者が出ていきますが、ほかのその担当の責任者、交渉責任者というのはポリティカルアポインティーであったり政治家みたいな人だったりということがあるわけですが、その擦れ違いがある一つの原因として、私は日本にポリティカルアポインティーの制度がないと、外交官にある意味でいうとあらゆる判断をゆだねなければならない状況があるのではないかというふうに思います。
今日の新聞にもNSCの創設について記事が大きく取り上げられておりましたが、こういう部分をある程度補完するものとしてNSCの機能が日本にも必要ではないかというふうに私も強く思うわけでございますが、この点についてもう一つお答えをいただきたい。
それから、議員外交の例を少し言わせていただくと、例えば韓国で盧武鉉政権が誕生して三八六世代が青瓦台に入ったときに、実は外務省も全く青瓦台にアプローチできなかった、それから外交通商部と外務省でやってもらちが明かない、つまり盧武鉉さんは全く言うことを聞かないわけですね。そういうときに、例えば私の知っている例として、日韓の例えば議員のパイプを使って度々青瓦台にアプローチができて、例えば首脳会談が開催が危ぶまれたときにも、実は一週間前に開催にこぎ着けたなどということもあるわけですが。
ですから、私は議員外交の在り方というものは、まあここでも議論されているわけですが、場面あるいは相手の状況によって極めて有効な場合があるんではないかというふうに思っております。この点についてもお聞かせをいただければと思います。
それから、簡単に川勝参考人に。文明でもってリーダーになるべきだというお考えでございますが、残念ながら中国が西にございまして、我が国が意識するしないにかかわらず、例えば経済的、政治的な地域におけるヘゲモニーということに関して、中国というのはやはり何らかの変数になり得るんではないかというふうに思います。
我が国が、先生がおっしゃるような文明的な意味でのリーダー、引き付ける力になっていく中で中国との折り合いをどう付けていくべきかということについて、少し御意見をいただければと思います。
○参考人(手嶋龍一君)
小林先生にいずれも核心に触れる、正に今日お話をしたいところについて御質問をいただきました。
アメリカにも、当然のことながら、一種の二元化の動きやそれから省内の対立はもちろんございます。しかし、総じて申し上げますと、大統領制のゆえであるということもあるのですけれども、やはり最後は国益を、特に外交や安全保障の場合で代表をして、最後交渉に臨み意思決定をするというところでいうと、総じてホワイトハウスに収れんをされますので、ここで少なくても相手側が、つまりホワイトハウスを向こうに回して別なルートと、言ってみれば二元的な交渉をしてホワイトハウスを出し抜くというようなことはほとんど例がないように思います。
その点で、有名な、下院の長く外交委員長を務めたハミルトンさんという有名な方がおられるのですけれども、およそ重要な、つまり外交上の発言について、それが議員のものであれ、そして閣僚のものであれ、突然思い付きで発言されたものは一つもないという大変な有名な言葉を吐いているのですけれども、それはやっぱり、重要な外交上の発言についてはやはりホワイトハウスと議会が練りに練ってまとめ上げる。したがって、時々議員さんが交渉というか特に人質解放などについて出ていくことはありますけれども、そこのところは総じてやっぱり政権、ホワイトハウスの連携はよく保たれていて、それがゆえに相手側の付け入るすきをというようなことはないように思います。
しかし、全体としましては、例えば金丸訪朝以来、そこのところを明らかに北朝鮮側は正に与党自民党を動かすために正に党の側に手を入れてくるのでありますし、そして、ここはだから外務省がやれなどということを私少しも言っておりませんで、実は、当時金丸訪朝に付いていったアジア局の幹部も含めて、当時金丸さんという人が絶大な党内で権力を持っておりましたので、やっぱり本来の筋を正に外して金丸訪朝に付き合い、しかし一番重要なところの首脳会談の場ではいない。のみならず、それを通じて、金丸訪朝以来、北朝鮮外交の一番大きなポイントは、その局面局面でメディアにも明らかにならない一種の秘密外交というのはあり得るのだと思いますけれども、しかし金丸外交の一番重要なところ、先方の最高首脳との間の会談記録があるのかというふうに、小林先生、今外務大臣にお聞きになっても、公表はできないけれどもあるとはお答えにならないはずなのであります。
同じく、平壌宣言に至る重要な過程で、これを裏付けるような交渉の記録があるのかどうか。三十回に及ぶ秘密交渉が行われたと言っておりますけれども、この中で実は対外的な経済協力の条項がまとめられておりまして、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与が実施されることがこの精神に合致するとの基本認識の下やると書いてありますね。このところで、例えば国際協力銀行の名前をして、これが精神に合致するなどとは一体政府・与党だれが決めているのかということになりましたら、これについて明確な答えを公的な場でできる総理も交渉当事者もいないはずなのであります。
仮に答弁をしたとしても、それではそれを裏付ける外交上の資料という、証言、交渉の記録というものが三十年たてば外交史家の手に公開されるのか、国会に公開されるのかということを議会で問われて、はい、ありますというふうにはなっていないはずなのでありまして、正にこのところは、これは歴史に対する交渉当事者は十分な責任を果たしていないのみならず、拉致事件に関係した被害者の家族の方々のつまり疑問にも少しも答えることができない。これは一種のやはり北朝鮮側の外交上のマニピュレーションといいましょうか、操作に結果的には乗ってしまったというふうに厳しく言わざるを得ない、このようなことがやっぱり起こっているのでありまして、こういう、これほどの弊害が目立つ外交というのはやっぱり、少なくても一連のところで言うと日本以外には残念ながらないような気がいたします。このことは厳しく言わざるを得ないように思います。
ただ、その一方で、さっき小林先生がおっしゃいましたように、いろんな形で議員が、正に公人でありますから、根回しをしたりその両国間の潤滑油になったり、有名な例では、日中国交回復に至る前段階の間では自民党の中のアジア・アフリカ議員連盟の諸先生に加えて、当時野党でありました公明党も大きな役割は外交関係がないので果たしたりはしていますけれども、しかしそのことによって決定的に国益が損なわれるというようなことはやっぱりないのでありまして、むしろ情報交換や一種のメッセージのやり取りというようなことになっている。
しかし、その一方で、肝心なところになりますと、実際は限りなく外務省、とりわけ条約当局に主導権が移っていくということになりますので、やっぱりその条約当局がその点で持っている過大なつまり力、影響力というものに対して正に外務省が持っている条約外交というか、条約当局による外交的な主導権にはもっと十分なメスが入っていいように私は思います。
以上です。
○参考人(川勝平太君)
ありがとうございます。
小林先生、中国との文明論的な観点からの付き合いの仕方をどうするかという御質問をいただきまして、ありがとうございます。
日本と中国とは、中国は歴史を大事にする国でありますけれども、四回戦争をしております。実質五回ですね。そのうち、白村江の戦いでは負けました。日清戦争では日本が勝ちました。日明戦争では秀吉が死んで撤退を日本がいたしまして、その前の元寇のときには神風が吹いて中国側が撤退するということで対等であります。日中戦争は泥沼になったということでありますね。
さて、日本は唐の文明あるいは明の文明をそれぞれ京都や鎌倉に入れまして、そして日本の文明は中国の文明の恩恵を被っていることは間違いありませんけれども、一八九五年の下関条約の後、日本に初めて留学生が来ました。それが中国からの留学生です。そして、その十年後には中国は隋の時代以来の科挙をやめまして、その科挙を受けるべき青年たちがどこに行ったのかというと、日本に来たのです。その中には周恩来先生などもいらっしゃいました。そうした中で、日本における社会主義の思想というものを中国語に翻訳をして、「新青年」というそういう雑誌が出されたり、河上肇につきましてはほぼすべてが訳されているということで、河上肇生誕百年のときには人民日報もトップ記事にしてその祝賀をしたということであります。
言い換えますと、日本の近世以前の文明は中国の文明の恩恵を被ってつくられましたけれども、現代中国の文明は近代日本の文明の恩恵を被ってでき上がったという、そういう側面があります。そうした中で、初めて対等になったということではないかと存じます。
そうした中、今、日本に最もたくさん来ている留学生は中国人であります。十万人を超える留学生のうち七割ほどが中国から来ております。この中国の留学生を敵に回してはならぬということが、私は何より日本が心すべきことではないかというふうに思っているわけです。一部の中国の留学生の犯罪によって、それを全体の中国の留学生に及ぼしてはいけないというふうに思っております。この留学生がかつて現代中国の礎になりました。そういう付き合いが長く続きまして日中友好の礎にもなったわけであります。日本に来ている中国人を平和のパスポートを持っている人たちだというふうに認識するべきだと存じます。
それからもう一つ、台湾と中国、大陸中国とが競争している地域があります。それは実は太平洋であります。台湾は国交を結んでいる地域が少ないので、太平洋の諸地域、小国に対していろいろ援助をしておりました。それに気付いて、大陸中国もすさまじい勢いで海洋アジア地域、太平洋地域に進出しております。それを日本が実質上座視している形であります。
そうした中で、一見縁遠いようでありますけれども、太平洋の中で今国がなくなりつつある国があります。それはツバルです。ツバルは、温暖化のために数千人の国民が行き場所がなくなって、ニュージーランド政府から断られました。そして、もう生きていけないので、例えばそれを日本が沖縄、南西諸島辺りにお迎えするというふうなことがありますと、日本人自身の中における太平洋の台湾・中国競争というものの実態もそれと併せて見えてくるでしょうし、環境問題と実は中国が単純な一つとは言えないという面があると思いますが、ちょっとこれはきな臭い話になって失礼しました。
ともあれ、現代中国文明は近代日本文明がつくり上げた側面があると。それは実は留学生によって果たされたと。アメリカの九・一一テロ以降、アメリカに行く中国人留学生よりも日本に来る中国人留学生の方が多くなりまして、そうした中には、もちろん玉石混交でありますけれども、間違いなく日中友好の懸け橋になる青年たちがたくさんいるということで、我々の教育というのはもはや日本のためだけではないという、そういう自覚を持つべき時代になっていると存じます。